戦前戦後ブラジルに渡った長野県出身者とその子、孫らでつくる在ブラジル県人会の新会長に、移民の2世でサンパウロ市在住の眼科医高田アルマンド隆男さん(60)が就任した。2世の会長は創立半世紀余で初めて。移民1世の高齢化、移民2、3世の県人会離れなどで会員数が減少しており、トップの世代交代で活動を活性化させる狙いという。来年11月に予定されている創立55周年記念事業が新体制の大きな仕事になる。 新会長の高田さんは母親(故人)が上水内郡信濃町出身。1981(昭和56)年に佐久市の県厚生連佐久総合病院で10カ月間の研修を受けた経験もある。「そのころから、長野や県人会のために何かしたいと思っていた」と言う。任期はことし2月2日から2年間。 日本からブラジルへの移民は、1908(明治41)年に開始。海外日系人協会(横浜市)の資料によると、62年までに全国で約23万人、長野県内からは約4500人が渡ったとされる。その多くは農業移民だ。 在ブラジル県人会は59年に創立。農機具が十分に備わっていない中での農業の上、病気や貧困に苦しんだ人が多く、同郷の仲間と情報交換したり悩みを打ち明け合ったりする場だった。しかし、移民1世の高齢化に伴い、20年ほど前に約660人だった会員は現在約350人。それでもこれまでは、移民した本人が会長を務めてきた。 高田さんは会長就任前の2年間、副会長として前会長の北沢重喜さん(82)=サンパウロ州モジ・ダス・クルーゼス市在住=を支えていた。北沢さんによると、新しい副会長2人も2世のため、会員からは「正副会長の3人とも2世になって大丈夫か」と心配する声もあった。 それでも、在ブラジルの福岡、栃木、三重などの県人会で2世が会長に就任してから活動が盛んになった例を見てきた北沢さんは、「2世は気持ちがおおらかで、1世と違った感覚がある。その力を生かしてほしい」と期待する。 「責任は重いが、若い人たちの会員を増やしたい」と高田さん。来年11月の創立55周年の記念事業について「1世、2世が協力して計画を立て、良いイベントにしたい」と話している。(長野県、信濃毎日新聞社)
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