古代朝鮮半島から伝わったとされる北安曇郡松川村の国の重要文化財「銅造菩薩半跏(ぼさつはんか)像」のルーツを住民自ら学ぼうと、村民有志が研究会設立を準備している。仏像の造られた場所や渡来のいきさつには諸説あり、分からない点も多い。早ければ今月中にも発足させ、古代ロマンへの関心を高めつつ、村の魅力を発信していくという。 郷土史を調べている同村東松川の会社社長奥原国乗(くにのり)さん(63)が、県内最古の一つとされ、県外からも参拝者が訪れるこの像の歴史的価値を見直し、地域づくりに生かしたいと発案。ことし3月、村内外の歴史好きの友人7人に設立を呼び掛けた。 弥勒(みろく)菩薩ともいわれる仏像は高さ約30センチ。6~7世紀、新羅や百済などで造られたとされる。福岡県の志賀島(しかのしま)一帯が発祥で、朝鮮半島や中国大陸との交易に関わったという安曇族が安曇野にやって来るときに持参した―との説が一般的だ。1982(昭和57)年に重要文化財に指定された。 一方、信ぴょう性には議論もあるが、一帯を治めた仁科氏の出自などを記した「仁科濫觴(らんしょう)記」には、天皇の子孫が7世紀半ばにこの地を訪れた―との記録があるという。奥原さんは、仏像がその際に運ばれたかもしれないと想像する。今後、7世紀の天皇の一人、天智天皇の念持仏と伝えられる弥勒菩薩像をまつる大津市の三井寺(園城寺)など、関係のありそうな各地の寺院や研究者とも情報交換していくという。 仏像は、松川村の観松院(かんしょういん)収蔵庫に保管されているが、檀家(だんか)でつくる護持会会長の長崎芳輔さん(82)は「地元でも知らない人もいる。存在を広め、観光客も増えればうれしい」と期待。奥原さんは「郷土史をひもとく面白さを多くの人と共有していきたい」と話している。問い合わせは奥原さん(電話0261・62・8814)へ。(長野県、信濃毎日新聞社)
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