松本市内に戦時中あった陸軍松本飛行場から特攻隊の陸軍誠第32飛行隊「武剋(ぶこく)隊」が鹿児島県の知覧飛行場に向けて飛び立ったことが2日、松本市空港図書館(松本市今井)の川村修館長(57)の調べで分かった。川村館長が、当時松本市内に疎開し、特攻隊員と交流があった女性から証言を聞き取り、1年ほどかけて史料やその他の関係者の証言を集めて調査した。4日から調査結果を紹介する企画展を同館で開く。 川村館長が、当時松本市浅間温泉に疎開していた首都圏在住の田中幸子さんから聞き取った。田中さんの証言によると、浅間温泉に集団疎開した東京・世田谷の代沢国民学校の田中さんたちと、18~20歳の特攻隊員6人が交流。「武剋隊」という部隊名や「今野勝郎」「時枝宏」という具体的な隊員名を覚えていたことから、史料を調べたところ、隊員たちが松本飛行場から知覧などを経由し、沖縄周辺で戦死したことが分かった。 川村館長によると、これまで同飛行場に特攻隊員がいたとの証言は多数あったものの、特攻隊の出撃記録が市内から見つかっておらず、部隊や同飛行場からの経路などは分かっていなかった。敵機に悟られないように飛行機は、同飛行場内の掩体壕(えんたいごう)に格納していたとされる。今も信州スカイパーク内に一つ残っている。 調査では、他に特攻隊員だった松本市内の男性から、70機ほどの訓練機で急降下の訓練などをしていた特攻隊員が90人いたことなど具体的な証言も得た。 川村館長は「物証が少ないから証言を頼りに掘り起こさねばならない」。松本市文書館の小松芳郎館長(62)によると「松本にいた特攻隊の具体的な部隊名まで裏付けられた証言は貴重だ」と話している。 企画展「記憶から消えた特攻隊と松本飛行場」は26日まで(午前10時~午後5時、6、13、20、24日は休館)。問い合わせは同館(電話0263・86・8460)へ。(長野県、信濃毎日新聞社)
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