これからも共に進もう―。サッカーJ2松本山雅FCは、29日に松本市のアルウィンで開いた横浜FC戦で、現チーム名になってホーム試合通算100回目を迎えた。試合は惜しくも0―1で敗れたが、入場者数は1万4614人で過去最多に。試合前に歴代OB選手たちが登場し歩みを振り返った。Jリーグを目指して本格始動した2005年春から関わる元選手やボランティア、サポーターは、クラブの成長を喜んだ。 試合中に入場者数が発表されると、スタンドがどよめいた。09年天皇杯のJ1浦和レッズ戦(1万4494人)を上回っていたからだ。 山雅がチャンスをつくるたびに大歓声。09年から応援する後閑昌子さん(36)=東京都=は「スタジアムの端から端まで、みんなが手をたたいていた。すごい盛り上がり」。初めて観戦した倉科寿男さん(69)=松本市神林=は「これだけの人がよく集まったと感動した。また来たい」。 OBは6人が登場した。サポーターが応援歌で出迎え、北信越リーグや日本フットボールリーグ(JFL)当時の試合映像を見ながら話した。08年から3年間在籍した大西康平さん(30)は「貴重な経験をさせてもらった」。04、05年に活躍した鏑木(かぶらぎ)享さん(37)は取材に「サポーターが多くなってすごい。当時はJリーグなんて想像できなかった」と驚いていた。 軌跡を振り返る写真も試合会場の一角に展示。11年に亡くなった松田直樹選手らの勇姿をサポーターたちが懐かしそうに眺めていた。 ◇ クラブ運営会社広報担当の小沢修一さん(33)は、05年4月の「1試合目」に選手として出場した。当時北信越リーグ2部で、アルウィン隣のサブグラウンドで試合をした。「練習では照明が暗く、蹴り上げたボールが見えなくなった。本当にJリーグに行けるのかと思った」 10年まで選手として在籍。サポーターの存在が支えだったという。「いつも彼らに引っ張ってもらった。これからもサポーターと共にあるクラブでありたい」と話す。 1試合目から試合運営を手伝ってきたボランティア組織「チームバモス」はこの日、スタジアムにサポーターらと手作りした100試合を記念する巨大な横断幕を掲げた。 昨季まで代表を務めた田中恵介さん(38)によると、最初のボランティアは10人ほどだった。「前座試合の準備やアナウンスの手配など、運営に関わる全てをやった」 現在バモスの登録は250人を超え、1試合当たり約100人が試合を支える。「観客に笑顔で接し、いいスタジアムをつくりたい」と話す。 サポーター組織「ウルトラスマツモト」も感謝の思いを込めた横断幕を作り、ゴール裏に掲げた。代表の疋田幸也(ひきたゆきなり)さん(37)は「山雅に関わる人全員に感謝したい」。 応援歌は当初、疋田さんと田中さんが少しずつ作った。「真夜中まで必死にやった。手探りだった」。今は平均約1万人が集まりJ2屈指の大声援が響く。それでも「まだ訪れたことがない人は多いはず。ぜひ一度来てほしい」と疋田さん。今後も「選手がチャレンジできる雰囲気をつくる」と力を込めた。(長野県、信濃毎日新聞社)
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