「山登りから忍者体験まで、信州でしかできない遊びを世界に発信する」「大学生が高校生に大学の学問を紹介する『ブリッジスクール』(橋渡しの学校)を県内で開きたい」―。県出身の大学生らが東京に集う「信州若者1000人会議」が29日、東京都渋谷区の複合商業施設「渋谷ヒカリエ」で初めて開かれた。約4時間、ふるさと信州のために何ができるのか、夢のある提案が相次ぎ、会場は熱気に包まれた。参加者は都内をはじめ関西、県内の大学に通う学生ら計約700人に上り、互いに思いを共感し、実現に向けて深め合っていた。 約千平方メートルのホールは、ざっくばらんに語り合えるよう畳が敷き詰められていた。 午後2時20分すぎ、県内各地で活躍する若手農業者やメーカー技術者、NPO法人代表、野菜ソムリエ、プロレスラーらが学生たちに語る「車座講演会」が14のグループに分かれて始まった。 「卒業したら東京か信州か、どっちで就職するの?」 松本市四賀地区でワイン醸造所を営む萩原保樹(はぎはらやすき)さん(50)は20人余に問い掛けた。「東京で働いて金持ちになりたい」「信州の自然の中で子育てをしたい」。学生の反応は真っ二つに分かれた。 萩原さんが「大学卒業後は(東京の)商社に就職するつもりだった」と明かすと、学生たちは驚いた。「実家を継がなければならなくなった時、『このまま田舎のおやじになりたくない』と思った。日本で一つしかない特別なワイナリーを目指そうと考えた」。全国を巡り、独自商品の開発に取り組んできた試みを語った。 続いて「学生プレゼン大会」が開かれた。高さ6メートル、幅8メートルのスクリーンを使い、12人が発表する。持ち時間は1人2分ずつで、「信州で実現させたい夢」などを語った。 最優秀賞の「信州若者賞」に選ばれたのは、高校生でただ1人発表した飯山北高校(飯山市)3年山本恵花(あやか)さん(18)だ。2年後の北陸新幹線飯山駅開業を見据えて同級生らと考えた、周辺市町村と共同で地酒などを生かしたツアーを提案した。「もっと専門的に観光を学びたい。助言をください」と呼び掛けた。 「『信州が地元』と、堂々と言える人がうらやましかった」。そう発表したのは上智大4年及川結(ゆい)さん(22)だ。松本市で生まれたが、10歳の時に家族で渋谷区へ引っ越した。「広い空もきれいな水も渋谷にはなく、信州に帰りたかったが、帰る場所もきっかけもなかった」。親戚の別荘がある諏訪郡原村で来年からペンション管理人として働くことを決めたとし、信州に若者を呼び込む構想を語った。 その後の交流会で及川さんに「信州に戻ったら、ぜひコラボ(連携)しましょう」と話し掛けたのは、日本大3年角谷皇紀(すみやこうき)さん(21)。上田市で生まれ、中学生の時から長崎県で育った。「長崎の存在が大きかった」が、この日の会議の準備にも関わり発表を聞き、東京で就職して力を付けた後に長野県内で働きたいとの思いが強くなった。 及川さんは「私がみんなが信州に戻れるきっかけになります」と応じていた。 この日は阿部守一知事も出席し、若者たちの試みに期待を込め、閉会式では全員で県歌「信濃の国」を合唱した。 熱気の中で若者たちは、ふるさとへの思いを重ねながら信州の未来像をより具体的に描き始めていた。会議を最初に構想した「地元カンパニー」(東京都渋谷区)社長の児玉光史(みつし)さん(34)=上田市出身=は終了後の取材に、来年も開く考えを示した。 「昔を懐かしむのではなく、若者に力を与え、信州から日本を変えるきっかけの場にしていきたい」(長野県、信濃毎日新聞社)
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