上伊那地方の住民有志が16日まで3日間、伊那市高遠町の公園「花色たかとおポレポレの丘」でしょうゆ搾りの集まりを開いた。北信地方などの家庭を回り、昔ながらのしょうゆ搾りをした上水内郡信州新町(現長野市信州新町)の故萩原忠重さんの技術を受け継ぐ「搾り師」が指導。16日は5組の家族やグループが、世界に一つだけの「わが家のしょうゆ」の出来を確かめ合った。 萩原さんは2000年に91歳で亡くなるまで、自家製しょうゆの造り方を指導。無添加で安全なしょうゆを自分で造ろうとする人の輪が県内に広がった。今は、萩原さんに学んだ長野市大岡の岩崎洋三さん(70)ら7人の搾り師が各地で教えている。 上伊那では7年ほど前に住民のしょうゆ造りが始まった。毎年春に搾り師を通じて大豆と小麦にこうじ菌を混ぜたこうじを購入。各家庭で仕込んだもろみを温度などに注意しながら半年ほど管理する。秋にもろみを持ち寄り、搾り師を招いて搾ってもらっており、今年は3日間で14組が60~120リットルずつ搾った。 16日は、岩崎さんら3人の搾り師がそれぞれ「搾り槽(ぶね)」と呼ぶ木製の道具を1台ずつ持ち込んだ。搾り師がもろみに湯を加えて袋に詰め、四角い搾り槽に入れて上からジャッキで圧力を加える。搾り槽から流れ出た澄んだしょうゆを、参加者が釜で火入れをして不純物を除いた。 洗い物などの作業も協力し合い、互いのしょうゆをなめたり、搾り師からもろみ管理の注意点を聞いたりした。高遠町の自営業石井ゆかりさん(48)は、しょうゆ造りを始めて6年目。「わが家らしいしょうゆが出来て、愛情を込めてもろみを管理したかいがあった。共同作業で食べ物を生み出す喜びを分かち合うのも楽しい」と話していた。(長野県、信濃毎日新聞社)
↧