「日本のロケット開発の父」と呼ばれた糸川英夫博士(1912~99年)が晩年を過ごした旧小県郡丸子町(現上田市)生田の糸川邸を喫茶やギャラリーに改修して多くの人に親しんでもらおうと、上田市内外の女性5人が準備を進めている。これまでに市内の画家の個展などで使われたことはあったが、継続的な活用は初めて。文化、芸術の発信の場にしたい考えで、糸川博士の命日の2月21日に開店する予定だ。 博士は東京都出身。戦後間もなく「ペンシルロケット」と呼ばれる国産ロケットの開発を手掛け、日本の宇宙開発の基礎を築いた。生田にある信州国際音楽村の建設事業に携わった縁で1990年、音楽村近くに居を構えた。 女性5人は50~60歳代で、工芸作家や主婦、会社経営者ら。博士が生前、糸川邸で開いた勉強会で料理を作ったり、企画した音楽イベントを手伝ったりと親交があった。メンバーの一部は現在、住人がいない糸川邸で不定期で掃除を続けている。以前から活用方法を検討してきたが、昨年の生誕100周年を機に計画を具体化することに。関係者の承諾を得て、昨秋から糸川邸の改修を進めてきた。 建設に関わった上田市の業者によると、糸川邸は新潟県上越市の山あいの集落にある古民家を解体、移築された。木造2階建てで、屋根裏を含め延べ約330平方メートル。1階は天井まで4メートル余と高く、屋根は4、5メートルの積雪に耐えられるほど丈夫な造りという。 掘りごたつやいろりがある15畳ほどの居間を喫茶スペースに、隣接する10畳ずつの和室2部屋などをギャラリーとして活用する計画。メンバーの一人で、竹の繊維を原料にした和紙「竹紙(ちくし)」の作家小山久美子さん(61)=上田市中丸子=は「人が自宅に集うことが好きだった糸川先生の遺志を継ぎたい」と張り切る。 三原静子さん(69)=同市中之条=は「安く、おいしいものを提供したい。この建物が今後も使われることが大切」、神奈川県大磯町の会社経営中川誼美(よしみ)さんは「文化人を招いた講演会、演奏会を企画したい」と話す。 問い合わせは三原さん(電話0268・25・2288)。(長野県、信濃毎日新聞社)
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