県内の教員ら計約600人が禁じられた組合活動をしたとして治安維持法違反容疑で摘発された1933(昭和8)年の「二・四事件」から80周年を記念した集会が23日、長野市内で開かれた。県教組、高教組などの実行委員会主催で約220人が参加。講演や討論で事件を振り返り、教員不祥事を踏まえた教育制度の在り方の検討など、現在の長野県教育が抱える課題を考えるきっかけにした。 討論で、小樽商科大(北海道)の荻野富士夫教授(日本近現代史)は一連の事件が小林多喜二の虐殺事件や日本の国際連盟脱退などと一緒に載った新聞紙面を紹介。「国民を戦争に自ら動員するような態勢、仕組み、理念を作り上げる大きな区切りとなったのが1933年」とした。 また、坂口光邦・元県教組委員長は「(当局には)『教育県長野の事件』と大々的に宣伝することで国内の世論を戦争に向けていく狙いもあった」と指摘。信濃毎日新聞社の中馬清福主筆は、信濃教育会が子どもらを青少年義勇軍として旧満州(中国東北部)に送り出したことにも向き合うべきだ―と問題提起した。 会場の参加者からも多数の発言があった。「(県教委や信濃教育会を含め)思想信条、立場の違いを超えて事件について語り合わないと長野県教育の前途は多難だ」といった意見があった。(長野県、信濃毎日新聞社)
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