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残留孤児の手紙4万通余、山本慈昭さんの遺族らが阿智村に寄贈

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 下伊那郡阿智村にある長岳寺元住職で、中国残留孤児の帰国に尽力した山本慈昭(じしょう)さん(1902~90年)が孤児らとやりとりした手紙約4万2千通が同村に寄贈され、一部が同村駒場に4月25日に開館する「満蒙(まんもう)開拓平和記念館」で展示されることになった。家族との再会を願う切実な思いを手紙に記した孤児たち。苦難の歩みが同平和記念館で後世に伝えられることになった。  山本さんは1945(昭和20)年5月に教員として旧満州(中国東北部)に渡り、47年に帰国。72年の日中国交正常化を受け、翌年には孤児らの帰国を手助けする全国組織「日中友好手をつなぐ会」を設立した。肉親を捜したり、帰国した孤児への日本語指導や就職支援なども続けた。  山本さんの元には支援を求める多くの手紙が中国から届いた。「私の肉親捜しに慈悲の心を分けてください」「私の姉を日本の皆さんの温かい手で捜してください」との趣旨を中国語で記した手紙もある。その一つ一つに山本さんは返事を書いたという。  孤児らの手紙は、長岳寺前にある「山本慈昭記念館」で保管していた。同館は山本さんが中国を何度も訪れた際の写真などに加え、山本さんが着けたけさなども保管。要望に応じて手をつなぐ会県支部が公開してきた。  ただ、木造平屋の同館は約30平方メートルと手狭。2月に同支部や阿智村の関係者、山本さんの遺族らが村内に集まり、同支部管理の資料全てを山本家から村に寄贈し、村が平和記念館に貸し出す形で活用することを決めた。  山本さんの命日の同15日に資料を村に寄贈。全国組織の手をつなぐ会の解散を受け、89年から活動してきた同支部もこの日解散した。  同支部解散まで支部長を務めた野中章さん(76)=阿智村=は「支部会員は高齢化し、資料の管理が課題だった。平和記念館で(山本さんの功績を)後世に伝えてほしい」。山本さんの娘、妙子さん(73)=同=は「父は全てをなげうって残留孤児の帰国に努めた。戦争を起こさないためにも、多くの人に資料を見てもらいたい」と話している。(長野県、信濃毎日新聞社)


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