完成50周年を迎えた黒部ダム(富山県立山町)建設当時の息吹を現代の視点から記録に残そうと、建設の前線基地となった大町市の有志らが、冊子づくりを進めている。持ち場ごとに懸命に生きた人々の証言から街の誇りを掘り起こす試みで、7月19日発行を目指している。 取り組むのは大町のまちづくりを語らう有志組織「おおまちラボラトリ」。当時を生きた人々がどんな思いで働いていたのか、どんな時代だったのかを知りたい―と、市内の町家レストランで働く北沢可奈子さん(29)=佐久市出身=が呼び掛け、1月下旬から建設工事や流通、街中の飲食など当時の関係者約10人から聞き取りを重ねてきた。皆70~90代の大町市在住者だ。 11日は、メンバー3、4人が、当時23歳で現地事務所に経理担当として赴任した元関西電力社員の岩見孝之さん(80)、市中心街の料理店で働いていた水口富子さん(79)に面会した。岩見さんは、労働者の合宿所近くに警察官派出所があったこと、建設に融資した世界銀行幹部の接待のため東京から一流のシェフや接客係を招いたことなど、世相が浮かぶ逸話の数々を楽しげに語った。 「世紀の難工事を担ったやりがいは」との北沢さんの問いに、岩見さんは「目の前の仕事に集中していて、すごいことをやっているという感じはなかった」。朝から真夜中まで「よく働いた」と穏やかに笑う水口さんも「苦情が出ないよう、その日を無事終えるのに無我夢中」だった。料理店があまりに忙しく、2時間待ちの客を結局帰してしまったと振り返り、「申し訳ないことをしたと、今も思い出します」としみじみ語った。 「皆さんただ生きるのに必死。がむしゃらに日々を過ごしていた姿に打たれた」と北沢さん。これまでの聞き取りで、ある工事関係者が語った「微粒結集」という当時の合言葉が印象に残っている。「名もない人々の一つ一つの努力が、あれだけの事業を成し遂げた。私たちも精いっぱい、自分にできることを考えていきたい」と、冊子に思いを込めようとしている。(長野県、信濃毎日新聞社)
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