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松本城に「丸馬出」 土塁造成 厳重に守る

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 松本市教育委員会は16日までに、松本城の北門があったとされる同市北深志1で発掘調査をし、門の手前にあった土塁「馬出(うまだし)」の遺構を発見した。敵が門に真っすぐ侵入できないようにする防御施設。江戸時代の松本城の絵図では城の周囲に4カ所描かれているが、明確に確認できたのは初めて。遺構を確認した信州大副学長の笹本正治教授(日本中世・近世史)は「松本城の研究上、極めて重要な発見」としている。  馬出の遺構が見つかったのは、松本城天守閣の北東でかつて北門があった同市北深志1の住宅地。住宅の建て替えを計画していた所有者の同意を得て、今月10~12日に試掘調査をした。土塁基底部の遺構の他、土塁が崩れないようにした土留めの石や木製のくいの列などが見つかった。土塁は上から見ると三日月形の弧を描いており、「丸馬出」と呼ばれる構造と確認した。  馬出の外側にあった堀との境では、木製のとがったくい4本も発見。敵の侵入を困難にするためで、かつて松本城の最も外側にあった「総堀」の調査でも見つかっている。市教委文化財課は「(くいの存在は)馬出でも予測されたが、確認できたのは非常に大きい」と話している。  松本城の丸馬出は、前身の深志城を攻め取った戦国武将武田信玄が、1550(天文19)年に改修した際に設けたと推定されている。市松本城管理事務所が所蔵する1728年の城下町の絵図には、今回の馬出の他、城の東側の上土町、北側の松本神社と、西側の現在の松本税務署がある場所にも馬出が描かれている。  笹本教授は「黄色い土の層は土塁の中心部分で、土塁を造った経過が見えている。出入り口は城の最も大事な部分で、厳重に守った様子が分かる。松本城の歴史を考える上で極めて興味深い発見」と評価。「一度造った土塁を大きくするためにさらに手を入れた状況も分かり、土塁がどう造られたか、技術の一端が見えてきた」としている。  馬出の遺構が見つかった場所は12日に埋め戻した。同課によると、松本城に関係する調査への市民らの関心は高く、昨年発掘調査した「大手門枡形(ますがた)」の見学会には1日1300人が参加した。馬出の遺構についても「見つかったのは市民の協力のおかげ。結果を広く知らせたい」としている。(長野県、信濃毎日新聞社)


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