明治時代を代表する俳人・歌人正岡子規(1867~1902年)が、上水内郡信濃町出身で江戸時代の俳人小林一茶(1763~1827年)の作品などを収めて1897(明治30)年に刊行された「俳人一茶」に寄稿した自筆原稿が25日までに、長野市戸隠の民家で見つかった。一茶の俳句を高く評価した内容がつづられている。子規記念博物館(松山市)によると、子規の自筆原稿は散逸するなどして現存数が少なく、全国的にも非常に珍しい。 同館によると、子規自筆の書簡や短冊は多数確認されているが、原稿は、同館が把握する限り20点に満たないという。 一茶研究家で子規にも詳しい矢羽(やば)勝幸・二松学舎大客員教授=上田市=と、信濃町の一茶記念館が、子規記念博物館から提供を受けた資料などを基にし、筆跡や原稿用紙の年代などから子規の自筆原稿と判断した。矢羽さんは「一茶への評価を記した子規の唯一まとまった資料で、子規を研究する上でも意義がある」としている。 原稿は計5枚で、1枚が縦21・5センチ、横29・5センチ。5枚を縦に並べて掛け軸に表装されている。原稿は「一茶の俳句を評す」と題し、「一茶の特色は主として滑稽、諷(ふう)刺、慈愛の三点に在り。中にも滑稽は一茶の独壇に属し、しかも其(その)軽妙なること俳句界数百年間僅(わずか)に似たる者をだに見ず」などと高く評価。一茶の人柄や俳句の形式などにも言及している。子規記念博物館は「子規は一茶の俳句が勉強になるとしており、注目すべき俳人の一人と考えていた」としている。 子規が寄稿した「俳人一茶」は、ともに長野市出身で、国学院大で学んだ青年、宮沢義喜と宮沢岩太郎がまとめた。岩太郎が、子規が勤務、編集する新聞「日本」の購読者で投稿者だったため、子規に校閲や出版への協力を依頼したという。 義喜のひ孫の宮沢豊穂(とよほ)さん(62)=長野市戸隠=が、一茶生誕250年を機に土蔵を整理していたところ、掛け軸を発見。一茶記念館に持ち込んだ。 1999年に信濃毎日新聞社が復刻出版した「俳人一茶」の解説を手掛けた矢羽さんによると、本は当時、あまり知られていなかった一茶の存在を全国に知らしめた先駆けとも言える存在だったという。 自筆原稿は、8月1日から一茶記念館で一般公開される。豊穂さんは「ひいおじいさんが子規を尊敬し、感謝し、大切に保管していた。一茶や子規への理解を深めるためにも、多くの人に見てもらいたい」と話している。(長野県、信濃毎日新聞社)
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