終戦直前の1945(昭和20)年8月13日に47人が犠牲になったとされる長野空襲を語り継ぐ「長野空襲を語る集い」が13日、長野市川合新田体育館で開かれた。体験者2人が空襲の様子などを語り、参加した30人余とともに戦争の悲惨さや平和の大切さについて考えた。 市民有志でつくる長野空襲を語り継ぐ会(大内啓造会長)が開き、29回目。今回は、空襲を受けた長野飛行場の滑走路があった川合新田を会場に選んだ。 飛行場に程近い同市松岡の轟清秀さん(78)は、当時10歳。自宅で朝食中に空襲に遭い、「米軍機が落とす何百発分もの薬きょうが瓦屋根に当たり、乾いた音がした。今でも耳に残っている」と振り返った。看護学生として同市上野の国立療養所にいて大けがを負った安曇野市穂高柏原の松岡明子さん(84)は、自身の体験をまとめた本を紹介。「空襲のことを長く語り継いでいきたい」と訴えた。 参加した長野市篠ノ井西小4年の井沢優菜さん(10)は「松岡さんたちの話を聞き、本当に戦争があったのだと分かった」と話していた。(長野県、信濃毎日新聞社)
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