小県郡青木村出身や在住の20~30代の有志8人が、村の情報を伝える新聞「平成青木時報」を創刊した。村の将来を担う若者や多くの村民に、地元の良さを知ってもらおうと、大正から昭和にかけて村の青年会が発行した「青木時報」の名を使った。月1回1800部を印刷。区(自治会)を通じて村全戸に無料配布し、村内の図書館やコンビニエンスストアにも置く。 旧青木時報は1921(大正10)年に創刊し、村出身の俳人・ジャーナリスト栗林一石路(いっせきろ)(1894~1961年)が初代編集主任を務めた。農業や国政など多彩な記事を掲載。戦時中を除き61(昭和36)年までほぼ毎月、392号まで発行された。 平成青木時報の山浦和徳編集長(34)=青木村沓掛=は東京の大学を卒業後、都内で働いたが「愛着のある村で暮らしたい」と2005年に帰郷。福祉関係の仕事の傍ら、みそ造りや田植えなどのイベントの企画、運営に関わった。県外から多くの若者が訪れたものの、地元の参加者が少ないのが残念だった。 仲間と話し合い「村の魅力に目を向けてもらうには、手作りした新聞がいいのでは」との意見でまとまった。5月に本格的な準備を始め、7月1日付で創刊号を発行した。 A4判4ページ。「発刊の想(おも)い」を1面に掲げ、「地元青木村のことでも、知っているようで知らないことがありませんか」「世代を超えた交流を生み出していきたい」と呼び掛けた。5月まで20年間、青木村長を務めた宮原毅(みやはらたけし)さん(81)が「青年のエネルギーで、誇りと希望を持てる青木村を目指してほしい」と談話を寄せた。旧青木時報の創刊号1面を載せたほか、村民を紹介する連載「青木人(じん)」も始めた。 今月1日付で第2号を発行。村内にある、明治から昭和初期にかけて蚕種の貯蔵に利用されたくぼみ「村松の風穴」や、村を訪れたタレント三四六(さんしろう)さんを取り上げた。 本年度の県の地域発元気づくり支援金で46万円余の補助を受けた。山浦編集長は「アンケートをしたり投稿を募集したりして、紙面を意見交換の場にしたい」とし、長く発行を続けたい考えだ。 ホームページから紙面をダウンロードできる。問い合わせは編集部(電話090・2308・8270)へ。(長野県、信濃毎日新聞社)
↧