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関東大震災の混乱克明に 松本で医師の日誌発見

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 ちょうど90年前の1923(大正12)年9月1日に起きた関東大震災の直後、被災者の治療などに当たった医師の日誌とみられる文書が松本市内に残されていたことが30日、分かった。警視庁の医療職「医員」だった故八田亨さんが、震災10日後の9月11日から10月10日までの1カ月間、救護所の状況や防疫対策、被災地の混乱などを記録していた。  関東大震災に関する著書がある東京大文学部の鈴木淳教授(日本近代史)は「警視庁が感染症の流行を抑えるためにした活動の概略は知られているが、現場の実情を伝える記録として貴重だ」と話している。  文書はひもでとじた原稿用紙15枚にペンで書かれている。八田さんの息子の妻貞子さん(故人)の遺品で、貞子さんの弟の三村喜美さん(76)=松本市清水2=が保管していた。  八田さんは震災直後に、当時の渋谷署勤務を命じられ、同署管内で活動した。日付ごとに感染症患者や行き倒れた人の手当て、救護班を訪問したことなどを記録している。千葉医科大(現千葉大)が治療に当たった救護所は、やけどやけがで手当てが必要な約100人、内科の患者約40人を収容し、島根、鹿児島の赤十字支部の救護班も上京して診療した、とある。  八田さんは井戸や便所、ごみ箱の消毒も指示。9月18日の記述には、朝鮮人が毒を投入するなどのうわさを信じたのか、として、「井戸は板をもって固くくぎ付けになし、消毒薬を入(れ)るに手数を要す」とある。頭と腰を竹やりで突かれた朝鮮人を留置場内で手当てしたことも書き残していた。  鈴木教授は、震災直後に朝鮮人が井戸に毒を投入するといううわさが流れたことはよく知られているが、9月18日になっても渋谷周辺で井戸が板でふさがれていたことは初めて知ったとし、「流言が幅広く信じられ、貴重な労力を空費させたことの証拠だ」と指摘している。  目が不自由な人が渋谷駅前で行き倒れたり、火災から逃れるために川に入って水を飲んだ人が、胃腸を病んで亡くなったりした記述もあり、鈴木教授は障害者や被災者への救護が不十分だったこともうかがえるとしている。  鈴木教授は、八田さんの記述から倒壊や火災による家屋の被害が比較的少なかった渋谷周辺の民家に、多くの被災者が身を寄せていたことが分かると指摘。「地域の衛生管理に気を配る八田さんのような役割は重要だった」と話している。  三村さんは、日誌について「必要とする人に提供し、研究などに役立ててもらいたい」と話している。(長野県、信濃毎日新聞社)


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