東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から11日で2年半。県内には福島県を中心に約1200人が避難しており、「まずは避難を」と駆け込んできた段階から、定住も視野に新たな生活を始める人が増えた。地域になじもうとする一方で、失業、孤独、住居の不安など先の見通せない状況に直面している人も少なくない。 「いい感じに実ってきている」。11日朝、松本市入山辺の植木宏さん(42)は育ててきた稲穂を見つめてこう言った。 植木さんは原発事故後の2011年5月、放射能の影響を心配して福島県須賀川市から妻、息子2人と松本市に移住した。避難のため、須賀川市で勤めていた幼稚園を退職。松本に住みながらも、「福島を見捨てることはできない」と、被災者支援に取り組む北海道のNPO法人の職員になった。しかし、同法人が財政難に陥り、今年4月に失職し、手取り月約20万円の収入はゼロになった。 5月、入山辺の自宅近くに借りた田んぼで米を育て始めた。8月には、農業を職業にできればと、給料を得ながら農業を学ぶ松本ハイランド農協などの新規就農者研修に応募した。今は結果待ちだ。 近くの人たちから野菜やまきをたくさんもらうという植木さん。米作りやトラクター運転のコツも近所のお年寄りから教わった。植木さんは「先は見えないが、ずっと松本で暮らし、何かしら恩返ししていきたい」と話す。 県災害対策支援本部によると、県内へ福島県などから避難している人は、3日現在1197人。11年3月から増え続け、同7月から1200人前後で推移している=グラフ。県が今年5~6月、避難者を対象に行った実態調査では、回答した209世帯(全体の44・8%)のうち過半数の50・7%が「避難元(の)県には戻らない」と答え、11年9月の前回調査から24・7ポイント上昇。県内での定住を視野に入れている人が増えていることをうかがわせる。 昨年2月、群馬県富岡市から上伊那郡飯島町に自主避難した林業小幡唯さん(38)は定住を決め、町内の林を整備するボランティアグループに参加するなど住民とのつながりを持とうと努めている。一方、福島県田村市から今年4月に上田市に避難した農業吉田優生(まさき)さん(45)は「助けてくれる近所の住民はいても、同じ年代で心から話せる友達はまだいない」と漏らす。 震災後、避難の在り方をめぐり意見が合わずに夫と離婚して昨年3月に松本市に移った福島市出身のパート女性(32)は、5歳と11歳の子どもを持つ。今年8月、腎炎にかかり入院した際は福島から親を呼んだ。来年3月には居住している独立行政法人が管理する雇用促進住宅の貸与が満期となる。「貯金もほとんどなく、いざとなった時頼れる親族は近くにいない。福島に帰らざるを得ない時が来るかもしれない」と不安を抱える。 上田市周辺で避難者の居住や就労支援をしてきた武捨幸雄さん(61)=上田市真田町=は「避難してきた人たちは逃げることにエネルギーを注いできた1、2年目と違ってこれからは、生活基盤に関わる新たな問題が多く出てくる」と指摘する。県内各地の支援団体同士の連携を深め、避難者を支える活動をしていきたい―としている。(長野県、信濃毎日新聞社)
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