明治から昭和初期にかけて、山腹の岩などの隙間から流れる冷たい風を利用して蚕種を貯蔵した「風穴(ふうけつ)」の一つが、上田市真田町傍陽(そえひ)で確認された。存在が知られていた「氷平(こおりだいら)風穴」とみられ、具体的な場所が長年分かっていなかったという。21日は真田中央公民館が地域の歴史講座の一環で見学会を開き、住民ら30人余が参加。「蚕都上田」として蚕糸業が盛んだったころに思いをはせた。 自然観察会をしている市民有志らのグループ「上田地球を楽しむ会」によると、風穴は県内外の山腹のくぼみに造られた。石垣などで覆い、上に屋根を設けたという。上田小県地域にも30カ所ほどあり、蚕種を冷やしてふ化する時期をずらすのに利用。楽しむ会事務局長の塚原吉政さん(63)=上田市上野=は、資料に記されていた氷平風穴を探して昨年6月から5回ほど山に登り、4月に今回の風穴を確認した。 中組地区の山の標高千メートル付近にあり、資料によると、石垣で囲まれたくぼみは間口1・8メートル、奥行き3・6メートル、高さ2・3メートルほど。建物はないが、風穴に通じる石壁の通路も残っている。 見学会では上田小県近現代史研究会員で傍陽に住む桂木恵さん(60)が明治期の資料を基に、県内の風穴の数は116カ所で、全国で最も多かったと紹介。「長野県が養蚕王国になれたのは、秋まで蚕のふ化を可能にした風穴の力が大きかった」と強調した。 参加した傍陽の農業荻原美知男さん(64)は「思ったよりも原形が残っていて、地元にこんな素晴らしい場所があると知って感動した。知り合いを連れてまた来たい」と話した。塚原さんは「養蚕の歴史や風穴の構造を知る上で非常に良い場所。今後、文化財などとして認められればうれしい」と期待していた。(長野県、信濃毎日新聞社)
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