化学兵器などを研究、開発し、太平洋戦争末期に川崎市から県内にも疎開した「陸軍登戸研究所」の資料を展示、収蔵する明治大平和教育登戸研究所資料館(川崎市)で20日、企画展「本土決戦と秘密戦―その時登戸研究所は何をしていたか」が始まる。駒ケ根市で見つかった資料など約50点を展示。本土決戦に備えて長野市松代町への大本営移転準備が進む中、同研究所が担った役割などを解説する。 同研究所は風船爆弾や毒薬、細菌兵器、紙幣偽造など秘密戦の研究施設だったとされる。駒ケ根市と上伊那郡宮田村、飯島町に本部や毒物合成など、北安曇郡池田町、松川村に電波兵器などの各研究部門が移転した。 企画展では、研究所の位置付けが、疎開後に本土決戦の遊撃戦に備えた爆弾などの兵器工場に変わったことを関係者や住民の証言で紹介。火薬を詰めた「缶詰爆弾」の時限装置用とみられる腕時計、ガスマスクなどの展示品は駒ケ根市で見つかった。大本営移転計画、群馬県富岡市に疎開した情報工作員養成機関「陸軍中野学校」のパネルもある。 駒ケ根市では「軍事秘密」の刻印があるろ過装置約650本も見つかっている。細菌兵器が使われた後に飲み水を確保するために開発され、同資料館はこのうち約350本を常設展示している。館長の山田朗(あきら)・明大文学部教授は「研究所に関する資料の多くは戦後に処分され、駒ケ根市で見つかった資料は貴重。本土決戦は決して幻ではなく、現実に準備されていたことを感じてほしい」と話している。 来年3月8日までの水曜から土曜午前10時~午後4時。12月22日~1月7日は休館。入館無料。(長野県、信濃毎日新聞社)
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