伊那市高遠町勝間で伝統の「高遠焼」に取り組む陶芸家浦野真吾さん(34)が22日、地元の登り窯「白山登窯(はくさんのぼりがま)」に年に1度の火入れをした。24日まで祖父の唐木米之助(よねのすけ)さん(89)らとまきを燃やし続け、作品を焼き上げる。戦後に衰退した高遠焼を復活させた唐木さんの後を継いで約3年。高遠焼の新たな可能性を追求したいと意欲を燃やす。 高遠焼は江戸時代の1812(文化9)年、高遠藩主が城内に水を引くため、美濃国(岐阜県)の陶工を招いて土管を作らせたのが始まりとされる。赤土で2色の釉薬(ゆうやく)を重ねた色合いが特徴。日用品の器などが盛んに作られたが、昭和30年代ごろから他県などの陶器に押され衰退した。 唐木さんは高遠出身。子どものころに自宅隣の焼き物工場で陶器作りを覚えた。戦後、愛知県瀬戸市でセラミック製造会社を経営したが、40代で「高遠焼をやりたい」と帰郷。釉薬や土の配合などを工夫しながら制作を続けた。 白山登窯は18年前に完成。浦野さんは唐木さんの勧めで焼き物を手伝い、高校卒業後に瀬戸市の専門学校で学んだ。23歳で高遠に戻り、唐木さんの下で修業。オブジェが日展で入選するなど力を付け、窯の管理を任された。 登窯は幅約3メートル、奥行き約10メートル。階段状の三つの空間に作品を入れ、下から順番に焼く。普段は灯油などが燃料の窯を使うが、登り窯は作品に独特の風合いが出るといい、今年はつぼや花瓶、皿など唐木さん作を含め約800点を入れた。浦野さんは窯のある建物に泊まり込み、積み上げたまき約400束をくべる。 「窯から作品を出してみないと出来が分からないのが登り窯の難しさで、魅力でもある」と浦野さん。「自分にしかできないものを作り、高遠焼の名を広めたい」と話した。(長野県、信濃毎日新聞社)
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