上伊那郡箕輪町郷土博物館は、戦前、戦中に同町などから旧満州(中国北東部)に渡った元開拓団員の手記や話を冊子「満州開拓富貴原郷(ふきはらごう)開拓団の記憶」にまとめた。同町からの満州開拓は町誌にも詳しい記述がなく、戦後70年を前に次世代に記録を残そうと刊行した。 富貴原郷開拓団は、当時の上伊那北部10町村の出身者で構成。中箕輪村(現箕輪町)役場を本部に、約300人が1942(昭和17)年から満州へ入植した。 開拓団関係者の「富貴原会」は、元団員らの手記をまとめて82年に発行。町郷土博物館学芸員の柴秀毅さん(43)によると、関係者だけに配られたとみられる。今回の冊子には復刻した手記や、柴さんらが2005年から09年に聞き取った内容も載せた。 手記は旧ソ連侵攻後の逃避行で3人の子を亡くした母親や、シベリアに抑留された人たちが書いた。聞き取りには、現地住民の襲撃におびえ、死ぬために水を入れたやかんと青酸カリを持って逃げ、「もう飲んだような気でいた」などと語っている。 開拓団帰還者らの名簿や「長野県満州開拓史名簿編」(県開拓自興会編)、行政資料などに基づく団員名簿も載せた。掲載した開拓団参加者は316人で、終戦時の団員は297人。このうち85人が現地で亡くなり、残留した人も17人いた。柴さんは「当時の若者も現在は90歳前後。地域の人の体験を伝えたい」と話している。 A4判、101ページで200部作った。町内の学校や関係自治体に配り、50部ほどを500円で販売する。問い合わせは町郷土博物館(電話0265・79・4860)へ。(長野県、信濃毎日新聞社)
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