前方後円墳とみられていた飯田市松尾上溝の「羽場獅子塚古墳」(飯田市史跡)が、市教育委員会の発掘調査で前方後方墳の可能性が高いことが20日、分かった。県立歴史館(千曲市)によると、前方後方墳なら県内7基目、飯田下伊那地方では2基目。専門家は東海地方からの影響を示す証拠になるとみており、飯田市教委が調査を進める。 市教委によると、大正時代にはこの古墳の存在が確認されていたが、これまでは前方後円墳とされてきた。何世紀に造られたかや、誰を埋葬したのかは分かっていない。 市教委は昨年10月~今年2月の調査で、前方部に方形の墳丘とみられる積み石や墳丘の周囲に掘られた「周溝」を確認。今回の調査では、後方部の墳丘があったとされる部分で、直径20~30センチの石が直角に並んだ場所を2カ所で確認。同じ角とみられ、双方は数メートルほど離れている。 市教委によると、前方後円墳なら後方部は弧を描くような石の並びになる。今回の発掘で、周溝も含めた長さが40メートルほどの前方後方墳の可能性が高まったとみている。来年1月末まで調査を続け、裏付けを進める。 市上郷考古博物館の市沢英利館長によると、前方後方墳は東海地方から伝わったとされ、松本市にある3世紀後半~4世紀の弘法山古墳(国史跡)では同地方で一般的だった高坏(たかつき)やつぼが出土。飯田市松尾代田では4世紀の代田山狐(きつね)塚古墳(県史跡)が前方後方墳と確認されている。市沢館長は「当時の東海地方からの影響を知る上でも羽場獅子塚古墳の調査は重要」と話している。 21日午前10時から現地見学会が開かれる。雨天決行。(長野県、信濃毎日新聞社)
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