江戸時代に焼失した国宝松本城の本丸御殿の新たな絵図が、松本市内で見つかった。市松本城管理事務所によると、これまで唯一確認されている市博物館所蔵の詳細な絵図とほぼ同様の内容。比較検討し作製年などが分かれば、御殿の間取りなどでこれまでの研究を裏付ける資料になる。市文化財審議委員会委員長の桐原健(たけし)さん(79)=松本市旭2=が保管しており、近く市に寄贈する意向だ。 絵図は約160センチ×約150センチの大きさ。1727(享保12)年に焼失したまま再建されなかった本丸御殿の間取り図で、色付けされている。松本藩への使者を泊める「御使者宿」を管理した今井家所有のものを数十年前に親戚の桐原さんが譲り受けた。作者や作製年は分かっていない。 本丸御殿は、城主や家族の住居と藩政を執り行う役所の機能を兼ねており、絵図には生活空間の「御寝間」「御居間」「御湯殿」の他、城主が家臣と対面する「大広間」や登城した家臣が詰める「溜(たまり)ノ間」などが記されている。 これまでの研究で、市博物館所蔵の絵図は本丸御殿焼失前の藩主水野氏の時代に作られたとされる。同管理事務所の後藤芳孝研究専門員によると、2枚の絵図は表記に多少の違いがあるが、色合いを含め全体的に大きな違いはない。「同じ元図(もとず)から写された可能性もある。時間的な差異があるかどうかは、細かな検討が必要」としている。 後藤さんによると、水野氏の時代に大庄屋などは本丸御殿で城主と面会が許され、滞りなく面会するために御殿内部を知る必要があったといい、「絵図が今井家に残っていてもおかしくない」とする。太鼓門の復元に関わった同委員会副委員長の中川治雄さん(78)=松本市旭1=は「絵図の出自が分かっているところに価値がある」としている。(長野県、信濃毎日新聞社)
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