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1718年の遠山地震、飯伊だけでなく広範囲に被害

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 飯田市南信濃を震源として1718(享保3)年に発生した遠山地震=マグニチュード(M)7・0=による被害が、飯田下伊那地方だけでなく、岐阜、愛知、静岡県にも広がっていたことが12日、同市美術博物館の専門研究員、坂本正夫さん(66)=飯田市上郷黒田=の研究で明らかになった。各地に残る古文書の記述を基に、広域的な被害状況をまとめた。  遠山地震の11年前の1707(宝永4)年には、東海、東南海、南海地震の3連動地震となった宝永地震(M8・6)が起きている。東京大地震研究所の西山昭仁・学術支援専門職員は「南海トラフを震源とする宝永地震が、遠山地震のような内陸地震を誘発した可能性がある」と指摘。現在、発生メカニズムと影響が研究されている3連動地震の全体像を知るには、その後の内陸地震にも目を向ける必要があるとしている。  坂本さんは1970年代から、飯田市東部の遠山郷を通る大断層「中央構造線」などの地質学的な研究を進めている。遠山地震については、被害の広がりを把握するために古文書などの記述に注目。同博物館学芸員らの協力も得て古文書を読み進め、現地を確認し、住民からの聞き取りもした。  遠山地震の被害を確認できたのは4県の35カ所。震源の飯田市に加え、周辺の下伊那郡阿南町、阿智村、下條村、天龍村、泰阜村、喬木村に被害が分布。山の斜面が崩れたり、人家の破損、田畑の崩落などの記録が明らかになった。さらに松本城(松本市)や高島城(諏訪市)、苗木城(岐阜県中津川市)の石垣などにも被害が出ていた。  下條村の鎮西(ちんぜい)家に残されていた文書には、「新木田村之内きび嶋と申所山落天流水を打留メ」(新木田村のきび嶋という場所では山が崩れて天竜川の水を止めた)との記述がある。坂本さんによると、現在の阿南町富草新木田で天竜川がせき止められた被害の記述という。鎮西家の文書からは、浜松市天竜区横山町でも天竜川がせき止められたことが分かった。  遠山地震同様の内陸地震だった2004年10月の新潟県中越地震(M6・8)でも、各地で山が崩落したり、川がせき止められたりした。二つの地震の被害状況を比べると、坂本さんは「(遠山地震では)中越地震に匹敵するか、それを上回る災害があったことが推定される」と話す。  M9・0だった東日本大震災を受けて、東海、東南海、南海の3連動地震について検討した内閣府の有識者会議は11年12月、東海から四国沖に延びる震源域を従来の約2倍に拡大。北東端は飯田下伊那地方を中心とする長野県南部にも広がった。  内閣府中央防災会議の「災害教訓の継承に関する専門調査会」の委員で、国立歴史民俗博物館の北原糸子客員教授(災害史)は「宝永地震の全容を明らかにする上で、発生時期の近い遠山地震の調査はヒントになる」と指摘。今年5月にまとめる予定の宝永地震の報告書に、坂本さんの研究成果を盛り込むことを検討している。(長野県、信濃毎日新聞社)


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