「大相撲入門、熱烈大歓迎いたします」―。伊那市坂下の会社員鈴木賢一さん(49)は、13年前にモンゴルの少年に宛てたメールの控えを取ってある。愛好家でつくる日本相撲振興会(名古屋市)の会員で、当時は都内在住。力士志願の少年から手紙を受け取った会長に頼まれ、モンゴル側と井筒部屋の連絡役を担った。入門した少年は26日、新横綱鶴竜関として最高位に上り詰めた。鈴木さんは「真面目さが花開いた」と喜ぶ。 鶴竜関は15歳だった2001年4月、父の知人に日本語に訳してもらい、入門希望の手紙を大相撲関係者に送った。「(日本の)相撲学校に入学できるのは15歳までです」といった文面に動かされ、振興会は外国人力士がいなかった井筒部屋に受け入れを打診。鈴木さんがメールやファクス、電話、手紙で約半年やりとりし、入門を橋渡しした。 鶴竜関は01年11月の九州場所で初土俵を踏んだ。鈴木さんは同12月、井筒部屋の餅つきに招かれて鶴竜関と初めて対面。手紙にあった「身長179センチ、体重78キロ」より小柄で細身に見えたという。この時もらったモンゴルの羊毛製品は今も大切にしている。 翌年の初場所後には、鈴木さんの携帯電話に片言の日本語で場所の報告があったという。郷里の伊那市に戻った鈴木さんが鶴竜関と再会したのは07年8月、松本市であった松本場所。幕内の鶴竜関は支度部屋でサインを書いてくれた。 今回の春場所で鶴竜関は、鈴木さんがかなわないと思っていた稀勢の里関、日馬富士関、白鵬関を破った。「もし、私を受け入れてくれる部屋がありましたら、その方々の気持ちにこたえるべく、一生懸命がんばりたいと思います」。手紙で伝えた約束を果たした第71代横綱に、鈴木さんは「モンゴルの先輩横綱2人に追いつけ追い越せで、1日でも長く務めてほしい」と望んでいる。(長野県、信濃毎日新聞社)
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