飯田市南信濃木沢の須沢地区で長年保管されてきた遠山の霜月祭り(国重要無形民俗文化財)で使う面や釜などが、南信濃和田の遠山郷土館「和田城」に寄託された。同区では1998年に発生した地滑りや住民の高齢化などで霜月祭りが途絶え、昨年夏には面などを管理していた住民が亡くなった。霜月祭りを研究する飯田市美術博物館の桜井弘人学芸員(55)は「神様として扱われている霜月祭りの面が地区を離れるケースは初めてになる」としている。 霜月祭りは、遠山郷とも呼ばれる飯田市南信濃、上村両地区に伝わる湯立て神楽。旧暦の11月(霜月)に八百万(やおよろず)の神々を招いて生命の再生を祈るもので、昨年は両地区の計9カ所で開かれた。 桜井さんによると、須沢地区で霜月祭りが始まったのは江戸時代末期ごろで、毎年12月16日に須沢宇佐八幡三社を会場に開かれていた。急傾斜地に民家が点在する同地区はもともと人手が少なかったため、85(昭和60)年以降は集落を出た人の協力も得ながら祭りを維持してきた。 98年10月に地区内で大規模な地滑りが発生したことで、人口減少が加速した。元自治会長の熊谷茂正さん(73)によると、地区内18世帯のうち9世帯が地区外に避難。霜月祭りは神楽をやめ、神事だけで開いていた。 その後、住民の多くが80代となったことで2011年には神事の運営も困難になった。昨年7月には祭りの中枢を担う神職「禰宜(ねぎ)」を務め、須沢宇佐八幡三社での面などの管理をしてきた大沢彦人さんが87歳で死去。ほかの住民たちだけでは管理が困難になり、寄託を決めたという。 寄託されたのは大天狗(てんぐ)など29の面のほか、湯立てに使う釜、笛などで、面は江戸時代末期から明治時代にかけて作られたとみられる。遠山郷土館では4日、桜井さんが面やパネルなどの設置作業を行った。5日から公開される。 桜井さんは「霜月祭りの面は祭り以外ではめったに見られないため、展示は貴重なことだ。ただ、今後も面の管理が困難になる地区が出てくるかもしれない」と話す。 熊谷さんは「とても残念だったが、人がいない中で伝統を守ることは本当に難しい。展示で多くの人に見てもらいたい」と願っている。(長野県、信濃毎日新聞社)
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