中央アルプス宝剣岳(2931メートル)近くの極楽平にあり、方向や道順の目安となっている遭難碑の由来を、中ア地区山岳遭難防止対策協会駒ケ根班長の堺沢清人さん(76)=駒ケ根市=が調べた。同遭対協発足前の1950(昭和25)年の遭難で、詳細は碑に刻まれていなかった。近くに方向板も設置されており、堺沢さんは「後の人が事故を起こさないように、との願いが込められている」と話し、遭難の教訓に学ぶ必要を指摘する。 碑と方向板は宝剣岳と三(さん)ノ沢(さわ)岳(2846メートル)の分岐点にある。50年8月に極楽平で遭難した信大山岳部員の塚本昌造さんを悼み、遺族や部の仲間らが建立。鋳物の方向板には三ノ沢岳、南駒ケ岳(2841メートル)、宝剣岳方面を指す3本の矢印の浮き彫りがある。 堺沢さんによると、同部OBが保存していた塚本さんの追悼録に遭難時の行動記録が収められていた。単独で木曽郡上松町から、一般的に休憩も含め約12時間とされるルートを約8時間で登っていた。一方、食料はコメやパンで、行動中のエネルギー補給は考えられていない。南駒ケ岳まで往復し、4日目に下山しようとして力尽きたらしい。 堺沢さんは、エネルギー不足で動けなくなったと推測。「人がいる宝剣岳まであと30分ほどだったが、そこまで行けないほど疲れていた。登山では腹が減る前に食べるのが大事」と話している。 中ア遭対協の前身、県山岳遭難防止対策協議会駒ケ根支部は1962年発足。堺沢さんは50年を機に碑を調査した。(長野県、信濃毎日新聞社)
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