善光寺(長野市)境内にあり、「理髪業の祖」とされる鎌倉時代の髪結い師、藤原采女亮(うねめのすけ)を祭った石碑が、全国理容生活衛生同業組合連合会(東京)の「理容遺産」第1号に認定されたことが26日までに分かった。采女亮の碑は全国に数多くあるが、善光寺の石碑はその規模から「象徴的存在」との評価を受けた。県内の理容業関係者は「理容業の聖地にしたい」と沸いている。 理容遺産には、島根県の石見銀山遺跡近くにある旧理容館など、他の3カ所の建物も同時に認定された。善光寺には年度内にも認定証が贈られる。 同連合会によると、采女亮は京都生まれ。京都御所の警備役だった父親が宝物を紛失し、国外流出を防ぐために朝鮮半島に近い今の山口県下関市に移住。そこで朝鮮伝来の髪結い技術を学んで開業したとされる。 善光寺の石碑は本堂東側にあり、高さ約3メートル。県理容生活衛生同業組合によると、1897(明治30)年に寺周辺の業者が業界の団結と発展を願って建立した。同連合会によると、采女亮の石碑は全国数十カ所にあるが、ほとんど大正、昭和時代に建立されたもので、善光寺の石碑は「最古の部類で規模も大きくて立派」という。 善光寺事務局の庶務部長、若麻績宗亮さん(38)は建立の詳しい経過は分かっていないとしつつ、「仏様、神様を分け隔てなく迎え入れるのが善光寺。昔から民衆に慕われてきたため、建てられたのではないか」と話している。 同組合北信部会が毎年、采女亮の命日(10月17日)前後に法要を営んでいる。台座の一枚岩(長さ約5メートル、幅約2メートル、高さ約1・5メートル)は当時、5キロほど離れた長野市丹波島付近から大八車で運んだとされ、同部会の関泰明部会長(48)は「諸先輩方の強い思いを感じる」と言う。 ただ、石碑は一般にはあまり知られていないといい、関部会長は「これを機に、専門的な技術が脈々と伝わる理容業への理解を深めたい」と話している。(長野県、信濃毎日新聞社)
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