文豪夏目漱石の魅力を語り、上田市との縁を伝えていこう―。市民有志でつくる「上田漱石会」が14日、明治期建築の丸山邸(上田市常磐城3)で発会式を開いた。市内外の漱石ファン約20人が参加。漱石が上田に関して詠み、会発足のきっかけになった俳句を紹介し、句を歌詞に新たに作られた曲も披露された。 漱石門下生の作家森田草平の孫で、会の発足を呼び掛けた同市塩川の森田稲吉郎(とうきちろう)さん(70)は「作品を通して漱石の人間性などを学んでいきたい」とあいさつ。長野市を活動拠点に昨年発足した長野漱石会の代表永井貞寿さん(74)=千曲市=が講演し「漱石は長野県内を2回訪れ、善光寺や軽井沢などに立ち寄っている」と説明した。 漱石のゆかりの句は「立て籠(こも)る上田の城や冬木立」。永井さんらによると、戦国時代に関ケ原に向かう徳川秀忠の大軍を上田城で足止めした真田昌幸、幸村親子の健闘を1896(明治29)年に詠んだ。信濃毎日新聞の記事で会発足と句の存在を知った旧丸子町(現上田市)出身の国立(くにたち)音楽大名誉教授小山章三さん(82)=千葉県市川市=が「親しみを持ってもらいやすいように」と句に曲を付け、上田市の合唱団に所属する参加者らが発会式で歌った。 発会式に参加した上田市中央2の飲食店経営石井秋子さん(61)は「漱石を知りたい気持ちはあったけれど、機会がなかった。これから勉強していきたい」。 この句について、漱石の作品に詳しい作家半藤一利さん(82)=東京都世田谷区=は14日までの取材に「当時29歳の漱石が友人の正岡子規に送った手紙に書かれていた句。漱石は幼い頃から通った寄席の講釈を題材にしたのではないか。若いころの句は躍動していて面白い」と話している。 上田漱石会は2カ月に1回ほど、市内で学習会を開く予定。将来は同市の上田城跡公園内に漱石の句碑を建てたいという。(長野県、信濃毎日新聞社)
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