長野市松代町の松代大本営の設営に海軍が関係していた可能性を示す資料が、同市の民家に保管されていたことが26日、大本営を研究する長野俊英高校(長野市)郷土研究班の調査で分かった。日記の中に海軍と大本営の関わりを示す記述を確認。同班は10月に大本営建設に海軍の関与を示すメモ帳の寄贈を受けており、「海軍関与の可能性がさらに高まった」としている。 日記は旧安茂里村(現長野市安茂里)村長で海軍に自宅を提供した故塚田伍八郎(ごはちろう)氏のもの。孫の塚田興造さん(74)=長野市安茂里小市=が保管していた。駐屯時に掲げたとみられる「海軍薗田部隊士官宿舎」と書かれた表札もあり、同班に寄贈した。 日記などによると、塚田氏宅には薗田美輝中佐の海軍通信隊が駐屯し、1945(昭和20)年8月25日まで約1カ月間、母屋を事務所や会議室、宿舎として使っていた。海軍中枢部移転のため地下壕(ごう)を安茂里小市地区に掘っていたという。 日記は2冊で計180ページ余り。45年5~11月に書かれ、「大本営ヨリ両将校来場アリ」(6月28日)と海軍将校が来たことが記されている。 当時7歳だった興造さんは「海軍のトラックで何度か大本営に連れて行ってもらった」と証言。「トロッコで穴から砂を運び出すのを見た」と振り返る。 同班は10月、大本営設営の現場責任者だった陸軍建技大尉・故吉田栄一氏のメモを遺族から入手。メモには吉田氏の元を海軍中佐らが訪れたとあった。 同班顧問の土屋光男教頭(64)は「大本営設営に海軍が関与した可能性をさらに高める重要な資料。研究を進め、実像を明らかにしていきたい」としている。(長野県、信濃毎日新聞社)
↧