上水内郡信濃町出身で、2013年に生誕250年を迎える江戸時代の俳人小林一茶(1763~1827年)が、他人の俳句を採点した帳面「点帖(てんちょう)」が、30日までに長野市の民家で見つかった。一茶研究の矢羽(やば)勝幸・二松学舎大客員教授(67)=上田市=によると、一茶は他人の俳句を採点したがらなかったため点帖は少なく、「活動の一端を示す貴重な史料」と話している。 点帖は「蟋蟀(きりぎりす)」と題され、長野市篠ノ井杵淵の轟謙一さん(90)宅にあった。由来は不明だが、轟さん側から話を聞いた同市小島田町の郷土史研究家、岡沢由往(よしゆき)さん(82)を通じ、矢羽さんが筆跡などから一茶の点帖と確認した。晩年のものとみられ、朱色の丸の数で採点する方法が特徴という。丸は筆の軸の先に朱墨(しゅずみ)を付けて押したらしい。 蟋蟀に収められたのは、当時蟋蟀と呼ばれたコオロギについて詠んだとみられる計321句。複数の作者の作品をまとめ、一茶に渡したらしい。丸はそれぞれ0~3個で、数が多いほど評価が高い。添削してある句もあり、矢羽さんは「一茶が気に入って手直ししたのではないか」と話している=表。 当時、句の選者として金を稼ぐ俳人はいたが、矢羽さんは、一茶はこうしたことを嫌った俳人松尾芭蕉(1644~94年)の影響を強く受けていたと説明。俳句の採点を断った手紙も残っている。 矢羽さんは、蟋蟀については「親しい人に頼まれて、断れなかったのではないか」と推測。岡沢さんは「一茶が晩年に活動した長野市近隣の民家には、他にも貴重な史料が残されている可能性がある」とする。 蟋蟀の末尾には、一茶が自筆で「けふ迄(まで)はまめて鳴(ない)たそきりぎりす」の句を記している。一茶の句日記「七番日記」に「まめて鳴たよ」とした句があり、矢羽さんは「一文字だけ書き換えた点が面白い。一生懸命鳴いたコオロギをねぎらう、動物好きの一茶らしい句」と話している。(長野県、信濃毎日新聞社)
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