下水内郡栄村で文化財保全活動をしている研究者グループは3日に同村で開いた活動報告会で、江戸時代の善光寺地震で生じた同村北信の被害を示す古文書が見つかったと発表した。同村北信の被害は伝承しか残っておらず、研究者らは村内の被害が裏付けられたとしている。 グループは、2011年3月の県北部地震以降、村内で廃棄されそうになった古文書や民具を集め、整理している「地域史料保全有志の会」(代表・白水智(しろうずさとし)中央学院大学准教授)。同村北信の民家の土蔵にあった古文書に、善光寺地震で崩れた山の麓と千曲川沿いの農地の被害状況を示す絵4枚などが含まれていた。 4枚はいずれも同じ場所の絵で、縦約30センチ、横約50センチ。被災した農地を茶色で塗ってある。地震翌月の1847(弘化4)年4月に、地元の村役人が現在の中野市の役所に宛てて作ったが、実際に提出したかどうかは現段階では分からないという。 同会などによると、善光寺地震により同村北信で生じた被害は、山の斜面が広範囲で崩れたなどとする地元の古老の話が栄村史に残っているだけ。この山崩れは、県北部地震で崩れた山の斜面の少し上流側の山だったとみられている。同会は今後、古文書の解読を進める。 飯山市誌の善光寺地震の項目を執筆した長瀬哲(さとし)・同市教育長は「善光寺地震の被害は北は飯山市までしか分かっていない。栄村の被害が明確になれば、地震の全容を理解するのに役に立つのではないか。また、栄村の防災対策にも生かせるはずだ」と話している。(長野県、信濃毎日新聞社)
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