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信越国境絵図、新たに1枚 小谷・戸土地区元住民が保管

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 元禄年間に信濃、越後国境付近の住民の間に生じた領土争いを受け江戸幕府が双方の言い分を聞いて定めた信越国境の絵図を、長野、新潟の県境にある北安曇郡小谷村戸土(とど)地区の元住民が保管していることが分かった。当時の様子を伝える大きな絵図で裏面には幕府による裁許(判決)理由の文面が記されている。同様の絵図は同村と新潟県糸魚川市にそれぞれ保管されており、確認されたのは3枚目。  小谷村誌などによると、越後側住民は1699(元禄12)年、信濃側を相手取って幕府に提訴。一帯は越後側の領土と主張したが幕府は主張の大部分を認めず、戸土などは信濃側と裁定した。裁許理由は1702年11月付。絵図には国境線や集落の位置が記されている。  所在が分かっていた絵図の1枚は小谷村中土の山田旅館が併設する資料館所蔵で村指定文化財。もう1枚は県境に近い糸魚川市山口区が保管。3枚目は関係者の間でも知られていなかった。村文化財保護委員会長の北村鎌司さん(79)は「双方に1枚ずつあるとは思っていたが、3枚目があったとは」と驚いている。  かつて約20戸が住んでいた戸土地区は現在、季節的に一時滞在する人はいるが、ほぼ無人。諏訪大社の神威の及ぶ範囲や国境を確認するためとされる神事を行う神社があり、糸魚川市などに移住した元住民が通って管理している。  地区出身の赤野尚武さん(74)=糸魚川市=が昨年5月に境内に生じた段差を発見。地滑り地帯のため神社への影響を心配して長野県や村に相談したものの、一帯は無人で緊急性が低い上、厳密な県境がはっきりせず、工事をする場合も長野と新潟のどちらが行うか調整が必要との指摘を受けたことが、絵図を見直すきっかけになった。  ことし1月、赤野さんが同じく戸土出身で歴史に詳しい赤野ハツエさん(81)=同=に相談すると、ハツエさんは「境界を決めた絵図が地区に代々伝わっている」と指摘。元住民が持ち回りで保管している「役だんす」の引き出しに眠っていた。ハツエさんは、縦1・4メートル、横1・7メートルの絵図を眺めながら「山の恵みを活用していた時代は境界が重要だった」と話す。  絵図を基に現在の境界を導くことは難しそうだが、尚武さんは「行政が工事を押しつけ合うような雰囲気もあるが、かつては信越国境として重要だった。もっと目が向けられるようになってほしい」と話している。(長野県、信濃毎日新聞社)


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