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映画監督・故熊井啓さん 「ひろしま」撮影ノート発見

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 安曇野市出身の映画監督、熊井啓さん(1930~2007年)が映画「ひろしま」(関川秀雄監督、1953年製作)で助監督として初めて映画製作に加わった際の「常備ノート」が、東京都調布市の自宅で見つかった。当時熊井さんは信州大を卒業したばかり。ロケの詳細をイラストを交えて記録しており、同映画を各地で上映している映画プロデューサー小林一平さん(66)=東京都狛江市=は「熊井監督の原点が分かる貴重な資料」としている。  「ひろしま」は、茅野市出身の教育学者長田新(おさだあらた)さん(1887~1961年)が編さんした広島の子どもたちの文集「原爆の子」(岩波書店)が原作。広島市民ら延べ約9万人がロケに参加、猛火に逃げ惑い、川の中になだれ込んで死んでいく様子など、原爆の惨状を描いた。55(昭和30)年にベルリン国際映画祭で長編映画賞を受賞した。  熊井さんは信大文理学部(当時)時代、映画研究会などで活動。関川監督とは、県内のロケ地を案内するなど在学中から交流があった。卒業前、映画監督になりたいとの手紙を関川監督に送り、「ひろしま」の撮影に4人の助監督の一人として参加した。  常備ノートはB5判。ことし1月、熊井さんの妻でエッセイストの明子さん(72)=松本市出身=が、安曇野市の熊井啓記念館に収める資料を整理中に見つけた。53年5月に始まったロケの日程、カメラ位置などが細かく書かれており、原爆投下直後の壊滅した市街地を再現したロケ現場の詳細な鉛筆画もある。  完成した映画は、幾つかの場面のカットを要求する配給会社と折り合わず、中小映画館や教職員組合などが上映する形になったという。小林さんは、「ひろしま」の監督補佐として関川監督を支えた小林大平さんの長男。核廃絶を訴えるこの映画を多くの人に知ってもらいたいと、2008年から全国で上映を続けている。  「ノートはほかの資料とは別の場所にしまってあった。最初の映画だったこともあり、よほど大事だったのでしょう」と明子さん。小林さんは「ゆくゆくは監督になるんだと、熊井さんが細かな点も見逃さず記録した様子が目に浮かぶ」と話している。(長野県、信濃毎日新聞社)


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