戦時中、松本市内にあった陸軍松本飛行場の施設構成が、市空港図書館(松本市今井)の調査で明らかになった。未舗装の滑走路の脇に六つの格納庫や軍需工場、兵舎などが立ち並び、柵で囲われていた。これまで格納庫の位置などしか分かっていなかったが、運用状況も含め解明が進んだ。配置を再現した絵図を、同館で8月3~25日に開く企画展「旧陸軍空541部隊と松本飛行場」で公開し、さらに情報を募る。 同飛行場は1943(昭和18)年以降、同市笹賀、神林、今井にまたがる200ヘクタール余に建設され、約1300メートル四方のほぼ正方形をしていた。一部は現在の県営松本空港に重なる。45年には特攻隊が駐留し、沖縄戦に向けて九州へ飛び立ったことが分かっている。ただ、施設の配置などは、二つの格納庫の基礎が残っている程度ではっきりしなかった。 細かい記録を残そうと、市空港図書館の川村修館長(58)が昨春から、当時を知る人に聞き取り調査をした。格納庫や滑走路の位置などが分かり、一般公開されている48年撮影の航空写真を基に、元高校美術教員古町茂さん(76)=松本市小屋南=が、45年4月時点の絵図を作製した。 聞き取りには、父親が飛行場に勤務していたという古町さんや、飛行場建設現場の陸軍航空本部経理部松本工事本部に勤めていた藤牧吉重さん(86)=同市神林=ら大勢の人が応じた。離着陸の邪魔になるため移転させられた家に住んでいた男性(76)の証言も得た。 聞き取りの結果、半地下式の兵舎や軍需工場、操縦模擬練習講堂、食堂などの位置が判明した。防火用池、排水路の他、現在のアルウィン近くに労働者のバラックが何棟もあった。飛行場の西約1キロにも兵舎とみられる建物があり、45年の完成後、使用目的が不明のまま解体されたとの証言もある。 飛行場には零式艦上戦闘機(ゼロ戦)や重爆撃機「飛龍」「〓(呑の異体字)龍」、「赤とんぼ」と呼ばれた練習機などが100機以上あったという。篠ノ井線村井駅から牛車で翼や発動機を運んだ。終戦の際、全ての飛行機が焼き払われたとされる。 川村館長は「陸軍松本飛行場に関わった方は高齢で、聞き取りも限界が近い。建物の位置が分かりやすい絵図は現実味が湧く。企画展を通じ、より多くの手掛かりが得られればいい」と期待している。 企画展では、同飛行場の陸軍空541部隊などについても資料や元兵士らの証言で紹介。飛行士らの寄せ書きも並べる。午前10時~午後5時。月曜と23日は休館。(長野県、信濃毎日新聞社)
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