「議論が遅すぎる」「認定増加につながるのか」―。安倍晋三首相が原爆症の認定基準の見直しに関する発言をした6日、県内在住の被爆者からは厳しい声が聞かれた。2008年に現行の認定基準に緩和された後も、全国で認定申請が却下される事例が多いからだ。 「新基準ができるまで、自分が生きていられるか分からない」。広島市で被爆した村岡与一さん(96)=長野市=は6日、自宅のテレビで、首相が原爆症を積極的に認定する方向で年内に新基準をまとめる―とのニュースを見た。 同基準が緩和された08年、村岡さんは3度目の認定申請を出したが却下された。爆心地から約2キロの陸軍船舶兵団の作業所で被爆。その後1カ月ほど、作業所近くに集められた焼死体を処分する作業などに従事した。戦後は長野市へ帰り、コメの配給所を切り盛りしたが、体にだるさを感じたり、黄疸(おうだん)が出たりした。 08年の新基準に沿うと、村岡さんは被爆地点と爆心地との距離は3・5キロ以内で該当することになったが、7疾病には該当しなかった。今も体調はすぐれず、血圧や胃薬など11種類の薬を飲み続けている。有識者の検討会は、病気の原因が放射線かどうかを認定する仕組みなどをめぐって結論が出ていない。村岡さんは「議論が遅すぎる」と不満を漏らす。 厚労省によると、08~12年度の5年間で計1万469人を原爆症に認定したが、申請の却下も計9878人に上った。ことし3月末時点で被爆者健康手帳を持つ人は20万1779人(県内144人)。高齢化などで、10年前に比べ7万7395人(同48人)減った。 県原爆被害者の会の藤森俊希会長(69)=茅野市=は6日、広島市で開かれた平和記念式典に出席した後、同市内で首相の記者会見のテレビ中継を見た。「何も言わないよりはいいが、これで本当に認定増加につながるのか」と疑問視する。年内に取りまとめる形で期限を区切ることが「単に議論を打ち切ることになってしまわないだろうか」と危惧する。 1歳4カ月の時に、爆心から2キロほど離れた場所で母親に背負われていて被爆した。高等女学校1年生だった姉は学徒動員で爆心地近くにいて行方不明になった。遺骨も見つかっていない。「国は誠実に対応してほしい」と強調した。(長野県、信濃毎日新聞社)
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