日本野鳥の会の初代会長で詩人、歌人の中西悟堂(ごどう)(1895~1984年)の活動や思想を伝える中西悟堂協会(事務局・高知市)は5日、北佐久郡軽井沢町星野エリアにある悟堂直筆の詩を刻んだ碑の除幕式をした。1979(昭和54)年に町が建立した詩碑を、悟堂の長女小谷(こたに)ハルノさん(75)=横浜市=の寄付金も使い、町が修復。自然保護活動の先駆者・悟堂に思いをはせた。 碑は、悟堂の胸像の隣にあり、高さ約2メートル。朽ちていた木製の枠を直し、銘板部分を磨き直した。小谷さんの寄付金50万円を含め130万円余で修復した。 式には、協会、日本野鳥の会の支部会員、ゆかりの人たちなど約40人が集まった。協会の津戸英守(つどひでもり)会長(89)=東京都立川市=は、バードウオッチングを広めた悟堂の功績をたたえ「軽井沢を日本における鳥の楽園にした方」と説明。藤巻進町長は「軽井沢には多くの方が探鳥に訪れる。その素晴らしさを教えてくれたのが悟堂先生」と話した。 小谷さんは、碑に刻まれた詩「ここぞ たかはら」は、星野温泉に滞在中の58年5月、カラマツ林の美しさとカッコウの声に触発され即詠した、との文章を悟堂が月刊誌に載せたことを紹介。同温泉先代の故星野嘉助さんがその詩を「碑にしたい」と言ったが、その時は「(詩人仲間の)北原白秋のカラマツの詩碑が既に軽井沢にあるから」と断ったという。 悟堂は34年に富士山ろくで、日本初の「探鳥会」を開催。「野鳥」という言葉を造り、同年「日本野鳥の会」を創設した。中西悟堂協会は2005年4月、日本野鳥の会有志によって中西悟堂研究会として発足。ゆかりの地を訪れたり、冊子「野鳥居(やちょうきょ)」を編集するなどしている。(長野県、信濃毎日新聞社)
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