4月に95歳で亡くなった上田市の編集者・作家の小宮山量平さんによる未発表の長編小説「敗戦」の一部が、小宮山さんの手掛けた本などを集めた「エディターズ・ミュージアム」(上田市天神)に展示されている。兵役の体験を基に戦後間もなく書き上げ、自らが発刊した季刊雑誌「理論」の創刊号に掲載するはずだったが、出版物を検閲していた連合国軍総司令部(GHQ)に削除されたという30ページ分。削除後に発行された創刊号も並べている。 ミュージアム代表で小宮山さんの長女荒井きぬ枝さん(64)=天神=が、小宮山さんの死去後に資料を整理していて見つけた。荒井さんは「敗戦時の状況について理解を深めるきっかけにしてもらえればうれしい」と話す。 小宮山さんは1945(昭和20)年、陸軍の一員として北海道・旭川で終戦を迎えた。3部構成の小説は終戦後の約1年半で執筆。展示している原稿はゲラ刷りで、終戦前後の約3カ月の日本軍を描いた第1部「楯にのつて」の冒頭部分だ。第1部の残りと第2部「菩提樹(ぼだいじゅ)記」、第3部「日本の慟哭(どうこく)」の原稿は見つかっていない。 原稿は、物資不足などを考えずに陣地設営を命令した軍上層部への批判や、厳しい条件下で任務に汗を流す部下への共感などを描写。戦争反対を訴えた上の世代が挫折し、自分たちがいや応なく戦争に加わった思いから、次世代の若者に向けて「『自分で歩め!』―そう、いいたい」と促す場面もある。 小宮山さんは1990年代に書いた随筆の中で、GHQによる当時の検閲について「日本の敗戦は45年8月15日に完遂されたのでなく、同胞の自立的精神が失われた日にこそ訪れるのだ…そんな主題を孕(はら)んだ大作品の構想を容赦なく拒否された私は、歯ぎしりする思いで、この構想の実現に思いを馳(は)せ続けた」などとつづっている。 小宮山さんが創業した理論社で共に働き、親交が深かった深町稔(みのり)さん(70)=上田市上田=は「GHQは、日本人が従順な方が戦後の占領政策を進めやすいと考え、作品を検閲したのではないか」と指摘。荒井さんは「今回の原稿には若者への温かい視線もあり、児童文学に力を注いだ父の出版活動の原点がある気がする」と話している。 エディターズ・ミュージアム(電話0268・25・0826)は午前11時~午後5時開館。火曜休館。(長野県、信濃毎日新聞社)
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